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by 708-z

14への思い

今日は作文を載せてみる。

題「10」

「10」番のユニフォームを受け取ることでチームの中心だという責任を感じると同時に、幾多の名選手達に近づけたという感覚さえも与えてくれる魅惑の背番号であった記憶がある。現在までに、サッカー史に燦然と名を刻む名選手達が「10」番を背負っていたことで、または背負うことで「10」番=エースナンバーという図式を築き上げている。例えば、サッカーの神様といわれたペレ、現在の日本代表の監督であるジーコ、アルゼンチンのマラドーナ、フランスのプラティニ、ジダン、イタリアのバッジォ、デルピエロ、日本の中村俊輔と例を挙げればきりがない。背番号「10」は、特別な背番号という認識がサッカーの世界にある。
 1974年のサッカーワールドカップ西ドイツ大会は、開催国である西ドイツの優勝で幕を閉じた。しかし、この大会で最も輝いていたと言われているのは、準優勝のヨハン・クライフ擁するオランダ代表であった。当時トータルフットボールと称され革新的なシステマチックなサッカーを披露したオランダ代表の中心にいた彼は、紛れもなく「10」番を背負うにふさわしい選手であった。しかし彼が実際につけていた背番号は「14」であり、それは彼自身の選択によるものあった。
 何故クライフは「10」番をつけなかったのか。それは彼自身の考えによる。クライフは「10」番は、ペレをはじめとする幾多の名選手によって、既にイメージが確立されている背番号だと考えていた。そこで、当時補欠選手の背番号としか考えられていなかった背番号「14」を、自らの力で自分をイメージさせる番号として確立させようと試みたのである。そして、自身の伝説的な活躍をもって「14」番=ヨハン・クライフ、の図式を確立させた。
 自分自身がサッカーをしていた昔、「10」番をつけていた時期がある。だが、ヨハン・クライフというサッカー選手の存在と、彼の「14」番への考えを知った時に、大きな衝撃を受けた。過去から現在へと受け継がれている、「10」番=エースナンバーの図式にどっぷりと浸かり、「10」番に満足していた自分。対照的に、無を有にしようとする壮大な野望を実現させたクライフ。それは自分とクライフの次元の違いを感じさせるに十分だった。そう、私は「10」という数字を通じて、クライフの着眼点と自らのそれとの根本的な相違から、彼を天才だと思わずにはいられないのだ。
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by 708-z | 2006-04-19 19:07 | other